文字符号―あるいは文字コードといったほうが通りがいいかもしれない―を論じた書籍やWWWページを見ていると,どうも気になることがある。文字符号の現在の姿しか知らず,それがどのように発展してきたかを理解していない論者が,まま見られることである。とくに,文字符号の批評あるいは批判ともなれば,その文字符号の成立過程やそれ以前の文字符号との関係が重要な論拠となるはずであり,当時の文献の参照は必須のはずである。が,それが満足になされていない。その結果,現在の文字符号の姿をそのまま過去にあてはめてしまうという,トンでもない暴論がまかり通ってしまうのである。
そのような過去の文字符号のありさまに立脚しない暴論が,この世から少しでも減ることをねがって,私たち夫婦はこの本を書くことにした。連続した歴史のどの部分を切り出してくるかについては,非常に迷ったあげく,モールス符号から始めて20世紀の終わりまでということにし,日本とそれにかかわる欧米の文字符号を中心に論述した。また,過去の文字符号の姿を,できるかぎりそのままの形で伝えるべく,この本ではすべての図版を,当時の文献から引用することにした。文字符号の成立過程やその内容に関しては,伝聞や根拠のない憶測はいっさい避け,あくまで文献によって裏づけのとれる事柄だけを,参考とした文献とともに示した。文献学や科学史研究においては,ごくあたりまえとされていることを,あたりまえにやっただけである。
なお,私たち夫婦としては,この本を入門書のつもりで書いた。すなわち,文字符号の歴史に関する入門書であり,基礎資料となるものをめざした。したがって,読者諸氏は,けっしてこの本の内容を鵜呑みにせず,あるいはこの本の記述を孫引きしないようにされたい。この本の内容は,文字符号の歴史の一断面にすぎないし,また文字符号を論ずる際には,当時の文献の参照は必須だからである。
(「はじめに」より)
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平成12年(2000年)9月,ISO/IEC 10646-1の改正と前後して,私たち夫婦には2人の娘が生まれた。それまで楽しく研究していればよかった私たち夫婦に,双子の子育てという大事業がいきなりのしかかったわけである。この本の区切りを20世紀の終わりまでということにしたのは,あるいはそういう事情もあったかもしれない。
もちろん,21世紀に入ってからも,文字符号の世界はどんどん変化している。2001年11月にはISO/IEC 10646-2が制定され,さらにISO/IEC 10646-1とISO/IEC 10646-2は合併して,2003年12月にISO/IEC 10646となった。Unicodeは2003年4月にUnicode 4.0を発表し,その後もマイナーチェンジをくり返している。JIS X 0213は平成16年(2004年)2月に改正され,10字の追加と168字の字形変更が行なわれた。Adobe Systems社は,2002年9月に20317字収録のAdobe-Japan1-5を,2004年6月に23058字収録のAdobe-Japan1-6を発表し,JIS X 0212とJIS X 0213をすべて含んだ文字集合とした。無線通信においては,2004年5月にITU-R Recommendation M.1677が勧告されて,"@"のモールス符号 <・--・-・> が運用に入った。そんな中,平成14年(2002年)9月には,NTTコミュニケーションズが国内テレックスを終了し,加入電信用印刷電信機符号は46年間の運用の幕を閉じた。ちなみに,KDDIも平成17年(2005年)3月に国際テレックスを終了したが,サービスそのものはEasylink Services社に引き継がれた。5年足らずの間にこれだけの変化があるのだから,今後10年・20年となると途方もない変化が起こっていくのだろう。
一方,20世紀に流行した文字符号の多くは,21世紀になっても相変わらず使われ続けている。国際電信においては,ITU-T Recommendation F.1の国際モールス符号にしろ,ITU-T Recommendation S.1の国際電信アルファベット第2にしろ,まだ現役の文字符号である。テキストファイルにおいては,欧米ではISO 8859-1が,日本国内ではMS漢字コードが多く使われているし,電子メールにおいてはASCIIとISO-2022-JPがそれぞれ主流である。つまるところ,いったん多くの利用者を獲得してしまった文字符号においては,新しい文字符号への乗り換えは非常に緩慢にしか進まず,古い文字符号と新しい文字符号がいつまでも並行して使われてしまう,ということなのだろう。そういうこともあって,この本では,それぞれの文字符号の始まりを書くことはできたが,文字符号の終わりについてはふれることができなかった。私たち夫婦の力不足であり,今後の研究にゆだねたい。
(「おわりに」より)