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生態系再生の新しい視点―湖沼からの提案― 

書籍情報
ISBN978-4-320-05686-2
判型A5 
ページ数242ページ
発行年月2009年06月
本体価格3,700円
生態系再生の新しい視点 書影
生態系再生の新しい視点

私たち人間は,自然の恵みなくしては生き続けることができません。しかし,この半世紀の間に地球上の自然生態系は大きく改変され,その結果,ほとんどの生態系で,生態系サービスが低下する傾向を示しています(MillenniumEcosystem Assessment 2005)。自然の恵みを子々孫々と受け継いでいくために,劣化した生態系を再生させ,そして保全していくことは,私たちの世代の重要な責務になっています。
 自然の再生とその保全は,自然についての科学的知識に基づいて計画され,実施される必要があることはいうまでもありません。具体的には,自然を劣化させている要因を明らかにし,それを取り除くこと,あるいは,再生の手助けになるようにはたらきかけるわけですが,再生や保全の目標を設定し,適切なモニタリングを実施し,効果を検証しながら進めることが大切です。それでも,自然は不確実性が高いために,順応的な管理や予防的アプローチが推奨されています。しかし,それだけでは十分ではありません。人間が昔から自然と深くかかわって生きてきた歴史を慮ると,自然にかかわる人々の考え方や行動と生態系の関係をよく理解した上で,目標を定め,計画され,実施されることが必要になると思います。なによりも,人と自然のより良い関係を見つけ,生態系が健全に維持されやすい社会的なしくみを創りだすことからはじめられなければならないと思います。そのためには人という社会的な生き物への理解も必要になるでしょう。
 私たちは皆,どこかの流域圏で暮しています。流域は分水嶺に囲まれた集水域で,川の流れに沿って自然が決めた水循環の空間単位です。流域圏では,下流地域が上流の土地利用の変化や開発の影響を大きく受けるため,治山治水,水質保全,土地利用の管理,産業など地域社会での諸問題について,情報を共有し,相互によく理解し,協力して取り組まなければなりません。湖は流域の末端に位置することが多いため,その生態系は流域の人間活動の影響を大きく受ける存在であり,その流域に暮す人々と自然のかかわりの状態を映し出す鏡とも喩えられています。湖沼の環境をよくすることは,まさに,地域の環境,そして地域社会をよくすることと同義だといえましょう。
 湖沼は水資源,漁業資源,洪水調整,水質浄化,遊びの場やリフレッシュできる空間など,多様な恵みを私たちにもたらしてくれます。それゆえに,それを利用する人々の間で利害の対立が生じやすい場でもあります。一方で,都市化や第一次産業の衰退が進む現代社会の日常のくらしでは,自然に無関心でも生活に支障をきたさないため,多くの人たちは自然の脅威と自然の恵みを体感しにくくなっています。必然的に,自然との精神的なつながりや自然を共通の関心事とした人間同士の関係性も希薄になっています。
 本書は,流域圏に暮す現代人なら,意識する,しないにかかわらず,おそらく誰もがその恩恵に与っている湖沼を対象として,まず,その生態系の特性を理解し,それを保全し,管理し,そして再生していくために有効となる評価手法や考え方を自然科学と人文社会科学が融合することで提案することを目的として書かれたものです。
 本書の基礎となっているのは,本書の執筆者が参加して組織した「健全な湖沼生態系再生のための新しい湖沼管理評価軸の開発」(環境省環境技術等推進費 2005 ?2007 年度 研究代表者 高村典子)の成果です。本プロジェクトでは,まず,自然科学からのアプローチとして,湖沼生態系の健全性をどのように評価して生態系の再生を実施すればよいのか,その手法の検討を行いました。湖沼流域は水循環(第2 章),湖沼沿岸域は生物多様性(第3 章),沖域は生態系機能(第4 章)をおのおの評価基準として研究を進めました。次に,人文社会科学からのアプローチとして,環境経済学の手法を用い,湖沼生態系の再生に対する人々の選好を貨幣尺度で計測しました(本書には含まれない)。さらに,環境倫理学の視点では,人間と湖沼のかかわりの時間的,空間的な変遷を,人の行為に着目して捉えることにより,現在のかかわりを評価し,再生すべきかかわりを提案しました(第5 章)。そして,最後に,生態系のダイナミックスと人の行動選択のダイナミックスがカップリングすることで生じる現象を数理モデルから解き明かしました(第6 章)。本書では,これらの議論の前提となる湖沼生態系の特徴について第1章で概説しました。
 ところで,2009 年3 月4 日の朝日新聞(茨城版)は,霞ヶ浦導水事業をめぐり,那珂川流域の漁協が,国を相手取り那珂川取水口建設の差し止めを求める訴訟を水戸地裁に起こしたこと,さらに,コイヘルペスウィルスの感染で休止していた霞ヶ浦・北浦のコイの養殖が来月(2009 年4 月)にも5 年ぶりに再開されることを報じました。いずれのニュースも霞ヶ浦を長年研究の場とし,その再生を心から願っている筆者には心痛むものでした。
 水資源や漁業資源は,湖沼の生態系サービスの中でも,直接,貨幣価値として判断することができるもので,現代に生きる我々の生活に密着した問題です。しかし,一方で,霞ヶ浦には貨幣価値に換算することができない,洪水調整や水質浄化,そして文化的,歴史的価値など,およそはかりしれない大きな価値があります。そして,そのような湖の恵みは,霞ヶ浦に棲む多種多様な生物が,自らの生活を通して,物質を循環させることで創り出しているのです。
 私たちは,霞ヶ浦を古の人々から受け継ぎ,様々に利用してきました。そして,将来世代の人々が,引き続いて湖から多様な恵みを受けることができるように,受け渡していくべきものだと思うのです。そのためには,昔からこの湖を棲み家としてきた多様な生き物を保全し,生態系の健全性を取り戻す必要があります。この半世紀,私たちは経済の高度成長の時代に,そしてそれが一段落した後になってもなお,霞ヶ浦を酷使してきました。すでに,霞ヶ浦は,過酷ともいえる負荷と人為的な改変に病み,その生態系は著しく劣化しています。
 霞ヶ浦は1960 年代頃から,その利用が増えてきました。コイの養殖は霞ヶ浦の淡水化と同じ頃に始められ,霞ヶ浦の主要な産業の1つに成長しました。しかし,湖水の過栄養化の大きな原因になったことも事実です。そのため,その産業の継続には,たとえば段階的に養魚池での養殖に切り替えるなど,湖への負担を軽減するためのなんらかの工夫が求められます。現在の養殖技術の力をもってすれば,それは十分克服が可能であると思います。さらに,霞ヶ浦の水資源開発のための護岸や高水位管理も,湖沼生態系を著しく劣化させたことは疑いのない事実です。今後は,水需要の再評価に基づく調整,導水運用や高水位管理の見直し,水門の柔軟な運用なども視野に入れて,少しでも生態系の回復を促し,霞ヶ浦本来の自然環境を取り戻すことができるように努めないといけないと思います。湖の利用や管理の方法をめぐっては,現在を生きる人々の間で利害が対立してしまいますが,現在の利用とその管理のあり方が将来世代の福利に大きく影響します。このような課題は,やはり,自然科学や技術の力だけでは,どうしても解決できない問題だと痛感しています。霞ヶ浦流域で,私たちがどのような地域社会を築き上げたいのかという未来をともに考え,ともに取り組まなければならない問題だと思うのです。そして,地域社会の再生に,霞ヶ浦の再生という共通の関心事をおくことができることは,この地域に生活する我々への,まさに,霞ヶ浦からの大きな贈り物に違いありません。

目次

第1部 自然科学からみた湖沼評価の視点
第1章 湖沼という環境(高村典子)
1.1 人と湖沼のかかわり
  1.1.1 霞ヶ浦と人とのかかわりの変遷
1.2 湖沼生態系の特徴
  1.2.1 深い湖の環境とその復元力(resilience;レジリエンス)
  1.2.2 沖帯の食物網?細菌の機能についてのパラダイム変換
  1.2.3 沖帯の食物網の制御?ボトムアップとトップダウン
  1.2.4 食物網の要となる甲殻類動物プランクトン
  1.2.5 浅い湖の環境と2つのレジーム
  1.2.6 非線形な湖沼生態系の変化-レジーム・シフト
  1.2.7 生物のはたらきが関与するレジーム・シフト
  1.2.8 生態系エンジニア種とキーストーン種
  1.2.9 浅い湖沼の2つのレジーム間の変化プロセス
1.3 湖沼を効果的に蘇らせるために
  1.3.1 カタストロフィック・シフトに備える
  1.3.2 浅い湖沼生態系再生の実践
  1.3.3 霞ヶ浦再生への展望

第2章 流域の役割とその評価(福島武彦・松下文経)
2.1 汚染源としての考え方
  2.1.1 負荷予測手法と削減に向けての考え方
  2.1.2 面源からの負荷量推定の方法
2.2 流域での生態系ならびに住民生活の自立性
  2.2.1 流域での生態系への影響
  2.2.2 住民生活の自立性

第3章 湖沼沿岸域の生態系評価指標(西廣 淳)
3.1 沿岸域の生物多様性と生態系機能
  3.1.1 沿岸域とは
  3.1.2 沿岸域の生物多様性とその維持機構
  3.1.3 陸と水をつなぐ沿岸域の役割
  3.1.4 沿岸域の変化
3.2 指標を用いた評価の必要性
  3.2.1 DPSIR モデル
  3.2.2 北米五大湖のモニタリングと指標の開発
3.3 代表的な指標
  3.3.1 指標種
  3.3.2 生物健全性指数
3.4 日本における湖沼沿岸の生態系評価に向けて
  3.4.1 沿岸生態系に関するデータ
  3.4.2 既存データを用いた分析:霞ヶ浦の例

第4章 生態系機能から湖沼生態系を評価する(田中嘉成)
4.1 生態系の機能とサービス
4.2 湖の生態系機能と物質循環
4.3 生態系機能を担う生物の多様性
  4.3.1 生物の機能形質と生態系の機能
  4.3.2 形質ベース群集モデル
4.4 湖沼モデル
4.5 ミジンコ群集と湖沼の生態系機能

コラムI 漁業生産と水質浄化のジレンマ(花里孝幸)

第2部 人文社会科学を取り入れた新しい評価
第5章 かかわりの視点からの湖沼環境評価(二宮咲子・鬼頭秀一)
5.1 湖沼環境と人間の営みとのかかわり
5.2 人文・社会科学的な湖沼環境評価の視点
5.3  かかわりの視点からの湖沼環境評価の作業領域
5.4  かかわりの視点からの湖沼環境評価?事例研究を通じて?
  5.4.1 湖沼環境評価および施策の現状と課題
  5.4.2 かかわりの視点からの湖沼環境評価の適用可能性
5.5 かかわりの視点からの湖沼環境評価の体系化に向けて

第6章 生態系ダイナミックスと人の選択ダイナミックスのカップリング(巌佐 庸・大野ゆかり)
6.1 生態系動態に経済的選択を取り込む古典的取り扱い
  6.1.1 どうして均衡が成立していると考えられるのか
6.2 行動変化のダイナミックス
  6.2.1 レプリケータダイナミックス
  6.2.2 確率的最適応答ダイナミックス
6.3 人々は公益に寄与したがる:公共財ゲーム
  6.3.1 公共財ゲーム
  6.3.2 最後通牒ゲーム
  6.3.3 人は評判を通じて協力する:間接互恵
6.4 湖水の水質改善問題:人の選択動態と生態系動態のカップリング
  6.4.1 社会的圧力
  6.4.2 生態系/社会系結合ダイナミックス
  6.4.3 正と負のフィードバック
  6.4.4  系の安定性は湖水の入れ換えと人々の態度変更のスピードで変わる
  6.4.5 予想外のパラメータ依存性
6.5 湖水の非線形:2つの履歴効果
  6.5.1 生態系ヒステリシス
  6.5.2 結合ダイナミックス
  6.5.3 湖水汚染度改善への社会的プロセスの効果
6.6 環境保護における集団間の対立
  6.6.1 集団の協力レベルの違い:コンフリクト
  6.6.2 集団間の同調性

コラムII 人間行動の本質からみた湖沼再生への提案(長谷川眞理子)

索引

Column
1.1 湖沼は地球環境の見張り番-地球温暖化の影響
1.2 バイオマニピュレーションの功罪は?
1.3 ワカサギの導入で透明度が悪化した十和田湖
1.4 レジリエンスを捉えるモニタリング項目
1.5 「沈水植物群落の価値」の変容
2.1 湖沼工学的なこれまでの湖沼管理方法
2.2 つくば中心域からの栄養塩の降雨時流出
2.3 霞ヶ浦流域での土地利用・被覆およびISA%の変化
2.4 霞ヶ浦流入河川の流量変化
2.5 霞ヶ浦流域でのランドスケープマトリックス
3.1 土壌シードバンク(埋土種子集団)
4.1 アオコはなぜ悪いか?
4.2 生態系に最適点【最良折衷点】はあるか?
4.3 生物操作が引き起こしたプランクトン群集の形質変化
6.1 2集団モデル