近年,認知の主体とその環境とのインタラクション,ならびに認知主体の身体性が知能の発現に果たす役割の大きさが認識されつつあります。本書では,これら「身体性認知科学」という新しい概念の提唱者であり,この分野の泰斗である著者が,知を理解するためのさまざまなアプローチを具体的に紹介しながら,この概念をわかりやすく解説しています。
日本語版刊行によせて
本書は日本の影響を大きく受けている。日本との関係がなければ,そもそもこの本は書かれなかったであろう。なぜこうも日本との関係が深かったのかということについて,日本の友人(科学者もいれば,そうでない人もいた)と話しているうちに,次のような結論に達した。本書の基本となっている考えは,デカルト派の影響を大きく受けている西洋文化をバックグラウンドとした人にとっては理解しにくいのに対して,日本の人々にとってはきわめて自然なのではないだろうか?身体性や制御の分散性,自己組織化,システムと環境の相互作用の重要性,知的な行動が生み出されるときの集団としての現象は,西洋がもつ人間のイメージ,つまり合理性によって支配されているとか,自らの行動の制御下にあるとかいったイメージに反しているのであろう。人々の行動が個人の制御の下ではなく,他の力によっても影響を受けるという考え方は,あまり受け入れられなかった。一方,日本では,このような考え方は恐れるべきものではなく,生命がもつごく自然な側面であると考えられている。
さらに,日本の文化や伝統にはもう一つの重要な意味がある。日本では,科学者だけでなく,多くの人々が新しいテクノロジーを楽しみ,社会のあらゆるところに躊躇なく適用する傾向がある。日本人にとって,ロボットはモンスターではなく,人間の友であって,とても楽しいものであり,工場だけでなく家や病院,学校でもたいへん便利に使うことができるものである。老若男女を問わず,ロボットとともに遊んだり,働いたりすることに抵抗を感じることは少ない。ロボットは,実世界との相互作用を教えてくれるだけでなく,学生にとって非常によい動機になるという意味で,非常に優れた教育の道具であると考えられてきた。また,日本は平均余命が長く,人口全体の平均年齢が,世界でもっとも高い国の一つである。このため,高齢者へのサービスが,近い将来もっとも大きな課題の一つとなるであろう。ロボットや半自動の機械は,人間の介護者を排除するのではなく,できるだけ自立するための道具であると見られており,これについて多くの研究が進められている。社会が,このような技術を広く受け入れているということが,この分野の進歩を促しているのである。興味深いことに,このような姿勢は,本書で取り上げられているような「ボトムアップ」的な考え方,つまり精巧で非常に詳細な設計から始めるのではなく,比較的簡単なプロトタイプを用いて,とりあえずアイデアを試してみるというやり方と非常に合っている。コンピュータシミュレーションは確かにたいへん便利であるが,一方で,われわれのアイデアを実世界で検証することも大きな意味をもつ。日本のように,迅速にロボットのプロトタイプを作ることができる研究者がいる場所は他にはなく,それがボトムアップ的手法を容易にしているのである。もちろん,日本におけるすべての研究がこのような方法で進められているわけではなく,トップダウン的手法で進められている研究も数多く見受けられる。しかし,若い世代の研究者は,研究を遊び感覚で進めていくことを広く受け入れているように思われる。遊びは,真の創造性のために欠くことができないものの一つであり,日本ではこのような遊びをよく見かける。
本書での考え方が,ところどころでかなり急進的なものであるにもかかわらず,日本では広く受け入れられているということには,何か重要な理由があるのかもしれない。多面的で均一でなく,伝統と最先端のテクノロジーが複雑にからみ合っている日本の社会を,簡単な言葉で表してしまうことなど,もちろんできない。かなりの保守的傾向がある一方で,まったく斬新な考え方が要求されるような工学関係の分野において,世界的に最先端の研究もまた日本で行われている。これが,ヨーロッパやアメリカなど他の国に比べて,本書で述べるようなアイデアが受け入れられやすかった理由ではないだろうか?身体性認知科学はもともとMIT人工知能研究所のRodney Brooks によって提唱されたものであるにもかかわらず,アメリカには驚くほど小さな研究グループしか存在しない。日本では,ロボティクスの分野について非常に進んだ研究に接する機会が多いという意味で,「新しいアイデアのための土壌」がより肥沃であるのではないかというのがわれわれの見方である。それゆえに,日本の研究者にとって,本書で述べることは,ちょっとした視点の転換や,すでに知られていることを明らかにするだけで十分である場合が多い。
十数年前から著者らは,日本の公的あるいは私的な機関の研究者から多くの支援をいただいている。日本での多くの学会やワークショップに参加したが,これらはアイデアを練るのに非常に役立っている。そして,公私にわたる友人をたくさん作ることができ,日本の研究所と共同研究を始めることもできた。このような交流は,非常に実のあるもので,将来もこのような関係が続いてほしいと願っている。本書を読めばわかるように,この分野は非常に速いスピードで変化しており,新たな発展へと向かっている。日本の研究者のアイデアは,この分野の発展に必要不可欠である。活発で生産的な国際的研究グループを作り上げるために,著者らの研究室やこの分野に携わる他の機関と,日本の研究者との交流を確立するよう,すべての日本の研究者に呼びかけたい。
本書が日本語に翻訳されることは,より多くの人々が本書に触れる機会が増えるということであり,著者らとしては望外の喜びである。本書のほとんどは(たぶん4分の3くらいは),認知科学や人工知能,あるいはロボティクスについての知識がなくても読めるので,身体性認知科学における興味深い考え方を是非楽しんでもらいたい。
R.Pfeifer